comico。完結済。韓国のマンガ。
革新的な美容整形技術が世に出て世界中の人が美しくなることができる世界になったら?というオムニバスストーリー。
ネタバレありなので、ご承知の上。
「全ての人が美しい世界」感想(1)
「全ての人が美しい世界」感想(2)
エピソード3:side effect (副作用)
エピソード2より更に数年後、NNBが世に出て7年後の世界。NNBはあくまで整形なので、両親が美形になっていても両親の元の顔立ちが遺伝するので、子供はブサイクだったりするということからくる歪みのお話。
冒頭でエピソード3の主役の家族、両親と娘の3人が家族写真を撮るシーンがでてくる。
両親は美形だが娘はブサイク。写真館には同じように美形な両親とブサイクな子供の写真がいくつも飾られている。
NNBはユン博士がガン治療用に開発したナノボット技術を改造して作られた。
博士は研究の資金繰りに行き詰まっていたので、資金提供を受ける代わりにナノボット技術を化粧品会社に提供し、作られたのがNNBだった。
博士はガンで妻と子供を亡くしていて、それが博士がガン治療のナノボット開発に人生を捧げた理由であり、博士はそれを改造されて整形技術に使われているのを快く思っていない。
博士は最近、NNBを応用したベクターというものを新たに開発した。
NNB社はベクターを利用してNNB2.0という、今のNNBではできない皮膚の色や身長を変えられるものを作ろうとしている。
博士は脳腫瘍で倒れ、もう手遅れな状態であり、治療も拒否している。
そこへNNBの開発に関わった主役家族の父親、キム・チョルが訪ねてきて、博士に
「君たちはベクターを利用してNNB2.0を作ろうとしている 私がさっさとくたばれば君たちは助かる」
「たかが皮膚の色や身長を変えるために」
と言われる。
チョルはその言葉に「体内の病気だけが病気ではない 外見もまた人の命を左右することがあるんです NNBは人々を治療しているんです」と反論すると博士は大笑いし、
「治療とは面白い 新しい治療法は少なくとも10年経たないと成功かどうか判断できない NNBもそろそろ10年になるかね 君は子供ができたと言ったね 君らはガン治療を目的に開発されたナノボットが別の用途に改造されて全く問題がないと思っているのかね 何の副作用もないと?」と意味深な事を言う。
博士はその日に亡くなり、ベクターはNNB社のものになった。
博士の弁護士からチョル宛の博士からの手紙を受け取る。
そこには「side effect(副作用) NNBの注入は母体の抗体を作りづらくする上 その子どもに深刻な免疫力の低下をもたらす」と書かれていた。
チョルの妻は妊娠しており、チョルは妻の衛生状態に過敏になってしまう。
チョルの娘、エソルはオモチャ屋で両親と子供の人形セットを見入っていて、両親はこの間撮った私たちの写真みたいだねとエソルに言うが、エソルは「全然似てない、私はパパにもママにも似てない、私だけかわいくない」と泣き出す。
母が妊娠してからエソルはおかしな行動をとるようになる。
咳が治ってもマスクをし続け「まだ治ってない」と言ったり、幼稚園に病気の子がいるから行きたくないと言ったり、下に落ちたまだ皮をむいていないリンゴを捨ててしまったり、人のいない家を描いたり。
その原因を両親は、赤ちゃんが生まれたら両親が変わってしまうのではないかという不安、愛情不足からではないかと解釈する。
母は早産の危険があり入院することになる。
その間、家政婦を雇ってエソルの面倒を見てもらうこちにするが、家政婦はあまり勤勉ではなく居眠りをしている間に、エソルは人形遊びをし、治療といって人形をハサミでチョキチョキ切っている。
母は結局早産してしまったがなんとか無事に赤ちゃんは育ち、1ヶ月後に退院してくることになる。
母が久しぶりに家の大掃除をしているとエソルが切った人形を見つけ、精神科医に相談し、今度エソルを連れて行くことになる。
母が赤ちゃんを連れて家に帰り、ベッドでついうたた寝してしまっている間にエソルが帰ってきて、赤ちゃんを見て驚く。エソルは思いついてハサミを持ってきて赤ちゃんを切る。
それを目が覚めた母が見つけ、絶叫。父も駆けつける。
5歳の女児が生後1ヶ月の妹を切りつけた事件としてニュース報道される。
警察のマジックミラー室で両親はエソルがマスクをつけていた理由を語るのを聞いて愕然とする。
エソルはエソルだけかわいくないと泣いた時に両親に、大人になったらNNBを注射すればかわいくないのが治ると言われた、注射をするということは病気だから、エソルは病気、だからママに伝染らないようにマスクをずっとしていた。
ここからはユン博士が裁判官でエソルに質問している夢での話。
エソルはパパやママには伝染らないから大丈夫と言われたので、エソルのように病気の子(=ブサイクな子)がたくさんいる幼稚園でだけマスクをつけることにした。
エソルは赤ちゃんを見たくて見に行ってしまったことを謝る。
エソルは自分の病気がそんなにすぐに伝染るとは思っていなかったので驚いたと言う。
エソルは自分の病気(=ブサイク)が赤ちゃんにすぐに伝染ってしまい赤ちゃんがブサイクになってしまったと思い、赤ちゃんを治すために、以前ハロウィンのお面をハサミで切ってパパが治してくれたように、赤ちゃんもハサミでキレイに治してあげようとして切ったのだった。
かつてNNBの裁判でこの両親が主張したこと、
「この社会には外見至上主義というウイルスが存在する
それをNNBというワクチンが私たちを救ってくれるはずだ」
これに対してユン裁判官は
「ワクチンはウイルスの治療薬ではない
ウイルスの治療薬なんてこの世には存在しない
ワクチンは抗体を作るのを手助けするだけで結局ウイルスに打ち勝つのは自身の免疫力だ
NNBも同様で外見至上主義というウイルスから我々を救うことができるのは自分自身だけなのだ
NNBに依存して心の成長の必要性を感じられなくなり成長を止めた心が子供にまで伝わる副作用を起こす」
「いくら世の中が外見至上主義に冒されていても現在NNBに効果があるように見えても
自ら免疫力を高める必要があることになんら変わりはない
なぜなら永遠にワクチンを受け続けるということは
永遠に完治できないことを意味するからだ」
「私はNNBを否定しているわけではない
ただ心から 君たちが外見至上主義というウイルスから解放されることを願っているだけだ
NNBに心を奪われず抗体を作り出す努力を止めないこと」
「君たちもいずれ私の言葉を理解するだろう
なぜなら今度こそ きちんとした抗体を子どもに伝える必要があることを悟るだろうからな
傷だらけのまま生き続けなければいけない その子のためにも」
と言う。
チョルと妻はエソルの言葉を聞いた後に気を失い病院に運ばれ、なぜかこの同じユン博士の出てくる裁判の夢を見ていた。
エソルは触法少年として処罰を受ける代わりに保護観察処分となった。
チョル、妻、エソルはカウンセリングを受けていて、その結果、エソルは情緒の発達が少し遅れているということだった。
NNB2.0は予定通りに発売され、今チョルはベクターを利用した新しいNNBプロジェクトで傷跡をキレイにできる研究をしている。
赤ちゃんは一命を取り留めたが顔に深い傷跡が残った。この研究が成功すれば赤ちゃんの傷跡もキレイにできるだろうが、問題は「その時までこの子をどう育てるか」だった。
チョルが、赤ちゃんを含め、4人で家族写真を撮るところで物語は終わる。
感想
3つのエピソードの中で2が一番よかったです。
全体的にすごく練られたストーリーだなというのは感じましたが、お話に入り込んで夢中になれたのは2だけでした。
エピソード1は、学生時代の仲間はずれだとか、ひとりぼっちとか、他人にどう見られるか、新学期にうまくそれなりにクラスメートに溶け込むとか、悪目立ちしないとか、そういうことが描かれていて、それをただそういう事柄が起こっている様子を描くだけじゃなく、人の心理を分析して文学的表現で描いているところがすごいなと思いました。
でも、私自身、思春期に自分の人見知りな性格で他人との関わりに悩んだ方ですが、このエピソードに出てくる子達のようにクラスの中で空気を読んで戦略的にアレコレ考えたことがないので、この時期のこういう仲間はずれとかちょっとした言動で自分の立場が変わってしまうとか、そういうのスッゴイめんどくさい!と思うだけで、あまり興味を持てませんでした。
誰もが経験する時期だと思いるが、こういう時期がもう終わっててほんとよかった、めんどくさい、って感じです。
エピソード2では特にハリムが好きです。
ファッション業界を目指しているので、一番、美に関わってきて容姿に関する中傷を受けたり、悩みの大きい人物だと思うし、そんなハリムがそれにめげずに前向きにがんばってきていて、それでもへこたれることもあって、また励まされて前向きになってという姿に心打たれます。
3人が組むまでに紆余曲折ありますが、それぞれの悩みや負の感情をお互いが認めたり励ましたりと、ものすごくいい友人関係になっていくのが、すごくよくて、うらやましいです。
そういう3人の友情の部分がすっごくよかったので、3人でやった公募展がうまくいって、これからも一緒にやっていくという希望のある終わり方なのもすごくよかったです。
卒業後に3人でやるブランドがうまくいかないことになったとしても、デザイナーを目指しているハリムにとって、デザイナーとして就職するのが難しい状況で、デザイナーを経験できるのはいい経験になるだろうし、その後別のところへ就職しようとするにしてもいい実績になるだろうと思うので、とても希望のある状況で、うれしいです。
ハダは人として歪んでる人でしたが、希少価値のあるスンジュンを連れて歩くのが優越感を感じられていいんだと言っていたのに、NNBを受けさせては捨ててたっていうのは何故なんだろうと、そこの理由がよくわからなかったです。
あれだけ途中から嫌なヤツ全開になってたわりに、制裁を受けているシーンがちょっとしかないのは、いつもだと私には物足りない感がありそうなんですが、今回は3人の方がいろいろうまくいってるのでどうでもよくなったのか、そこをあまり不満に感じませんでした。
ミョンドクの弟がミョンドクにスンジュンや価値観が逆転してるわけじゃないっていうのを説明しているところで、弟の説明が理知的ですごいなと思いました。
美の基準が逆転するなんてないことの説明に「黄金比率がなんであると思う?」っていうのがサラッと出てくるなんてスゴイよ。
ゲームに例えて説明したり。まあそこは作者さんがガッツリ考えたってことなんでしょうが、この説明を聞くと弟すんごい賢いなって思っちゃうので、彼が兵役後に復学しないつもりで自動車整備士になっちゃうのはなんかもったいない気がしちゃいました。
別な言い方をすると、自動車整備士になる弟にこの説明させるのはギャップありすぎじゃないですか、作者さん、と思いました。
弟が説明してくれた「スンジュンがモテる理由」ですけど、NNB再整形禁止になったからスンジュンの価値を高めたというけど、NNB再整形禁止になったからこそ、他人基準で顔を変えるのは嫌だなと私は思っちゃったんですが、世の人はそうでもないんでしょうか。
私はミョンドク派です。
ミョンドクの言うように相手の望む顔に変えてダメになったら目も当てられないと思います。
弟は、相手がよほど変わった趣味じゃなければ相手の好みの顔だって美形だといいますが、世に美形と認められていても自分は好みじゃない顔ってあるので、自分の好みじゃない顔にするのは嫌です。
私の場合、相手とうまくいったとしても自分の好みじゃない顔じゃ嫌なんですが。
世の基準で美形の中に入ってれば顔にあまりこだわらないくらいの人ならいいけど、私は美形でも自分の好みじゃなかったら嫌ですよ。
そこまでしてパートナーになりたい(結婚したい)相手って、そこまで最初に見極められるの?っていうのも思います。
顔だけ好みだって恋愛でうまくいかないなんて、ザラにあることですよね。
相手の好みの顔に変えて、ダメになって、いくら世の基準の美形でも、過去の相手の基準の美形でその後、勝負していかないといけないことになるなんて嫌でしょ。
8年再整形できないなら。ずっと最初の相手の美の基準に振り回されることになるなんて、しかもダメになった相手の。
自分の好みにしてなかったら納得いかないですよ。
そして相手の基準に変えようとして後悔したウォンタクは弟のようには考えられなかったってことだよね。
美形ならOKじゃなかったんだよね。
だからこの世界でも弟の考え方でスンジュンがモテてるけど実際やってみた人たちは、そうじゃなかったってことなのかな。
ハダの事件も考えると。
そういう過渡期ってことなのかな。
スンジュンじゃない側は弟と同じ考えで、スンジュンを求るからスンジュンがモテてるけど、実際やっちゃったスンジュンだった側は後悔してる人が多いとかなのかも。
というのと、NNBでは骨格は変えられないんだよね。
それとも身長に関わるような骨はってこと?
にしてもちょっと骨を削る程度はできてもきっと骨格を変えるほどのことはやっぱできない気がするんだけど、だとしたら、弟の彼女みたいな頬骨のはった顔の大きい人って、顔の中身はイジれても美形と言うには限界がありそうなんだけど・・・。
ミョンドクの友人にしても弟にしても、スンジュンの彼女って出てきた写真の女の子の顔がブサイクなだけじゃなく、顔が大きくて体とのバランスも悪いし、中身をイジってもいまいち美人にならないんじゃない?って気がして仕方がない。
それと美の基準が変わってなくてブサイクをかわいいとは思ってないなら、あんなラブラブな感じの密着した写真とるのに抵抗感はないのか?
それに自分好みに相手の顔を変えられるって言うけど、今いるNNB受けて美形な人達の中に自分好みの美形はいないのか?そして好きになった相手は自分の好みでやった美形顔を気に入ってくれないのか?
相手がスンジュンだからいいだろーって言っちゃう人は、相手を自分の好みの顔に変えられるというところだけで選んでるの?中身はいいの?自分好みの顔に「変える」わけじゃなくてもきっと他に自分好みの顔の人はいるよね、「変えた元スンジュン」とその人との違いは中身だけってことになって中身が気になっちゃうと思うんだけど、そういうところどうなのかなー。
等々、弟の言い分というかスンジュンモテ説にはだいぶツッコミどころを感じます。
それと、これはこの作品全体に言えることですが、卑怯だったり楽な方を選んだり他人を利用しようとしたり、人の心の嫌な部分も描いていて、そしてそれを自分で気付いて認めるというところも描かれているのがいいなと思います。
人魚姫は誰なのか、ハリムはみんな人魚姫なんじゃないかと言ってましたが、私は、いい意味ではハリム、悪い意味ではハダだったんじゃないかなと思います。
それと学校の課題がすごいなと思います。
韓国の大学が舞台のマンガを他にも読んだことがあって、そこでも似たような感じの、今の実際の世の中の経済状況とかあの企業はこうで、この産業はこうで、みたいなのを考えてやってましたが、それがすごいなと思います。
私はそういう経済とかに全く疎くて全然知らないので。
エピソード3は、ユン博士の言っていることが重要なことなんだろうなと思うんですが、いまひとつ意図を理解しきれなかった感じがします。
チョルの言ってることもわかります。
ちゃんと出てきませんが、チョルは容姿で嫌な思いをした過去があるんでしょう。
顔を変えるだけじゃなく皮膚の色とか身長とかを含めた容姿全部を簡単に好きなように変えられるようになれば、人の悩みの要因の1つが消えるのは確かだと思います。
ただ、それが悩みになってしまう根本的な原因の心の問題、ブサイクな容姿を嫌だ負い目だと思う方も、ブサイクな容姿の他者を蔑み嫌う方も、そしてそれに負けてしまう心も、心の問題である部分もあって、そこを忘れちゃだめだよっていうことなのかな。
ユン博士の言ってることは。
この作品の世界の場合は、NNBで容姿を変えられることはできるようになったけど遺伝子レベルで変えるわけじゃないので、子どもは容姿を変えられないまま、という中途半端に解決している世界だから、余計にまだ心の問題があるよってことなんですかね。
そしてそれが子どもというのが余計に問題なのかもしれません。
でも・・・、この時点ではまだ世にNNBが出て10年も経ってない世の中ですが、これが当たり前レベルの世界になってしまえば、子供のうちは醜くても大人になったらみんなキレイになるんだよ、という、芋虫が蝶になるみたいな感じでとらえられるようになれば、今回みたいな問題はなくなるんじゃないかな。
まあ子供のブサイクと美形が混在する時期に容姿に関するイジメとかは残るのかもしれないし、エソルが感じたようになぜ自分はかわいくないのかということを単純に純粋に子どもが感じてしまうのは無くせないだろうから、何かしらやっぱりあるんだろうけど。でもそこでみんな大人になったらキレイになるんだっていうのがあるとどうなるのかというのは・・・どうなんだろう。
それに芋虫と違ってみんなブサイクじゃなくて、ブサイクと美形がいるというところが問題になるんだろうな。
人の持っている価値観として、美しいものがいいと思う、汚いものはよくないと思う、そういうのはほとんどの人に共通の価値観としてあると思うので(程度の差とかはあるにしても)、美しさを求めるのがいけないとはいえないと思います。
簡単には言えないけど「それにとらわれてはいけない」ってことなのかな。
エソルは情緒の発達が遅れていたというのが、赤ちゃんをハサミで切ったことの理由としての説明だと思いますが、5歳でねぇ・・・ハサミで人を切ったら痛いってわからないのは、結構な遅れじゃないですかね。
それに血が出るのとか、赤ちゃんが泣くのとかに対して何も思わなかったのかな。遅れですまされるものなのかも疑問ですが。
赤ちゃんの前にエソルが人形にやったのがどんなことなのか、人形の絵がちゃんと出てこないのでよくわからないんですが、人形もハサミで顔とか切ったの?あの大きさの人形の顔をハサミで切るってだいぶやりにくい気が・・・。
そして予定されていたエピソード4は更にNNBが出て年数が経った世の中での話で、NNB2.0やチョルが開発中のものも出て、更に整形でキレイになれるようになった世の中だろうと思うので、そこでどんな話を考えていたのかと思うと、書かれずに終わってしまったのが残念です。
休載になる前にエピソード3は完結していて有料分が残った状態だったのが、最近これで続きは無しで完結ということになり、週1で1話ずつ無料に移行してたようです。
2年近くもの間、休載扱いになっていてのこの処置なので、作者さん側で何かしら続けられなくなってしまったのかなと思います。