映画「屍者の帝国」監督:牧原亮太郎 原作:伊藤計劃・円城塔 感想

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映画「屍者の帝国」監督:牧原亮太郎 原作:伊藤計劃・円城塔 感想
ネタバレありなので、ご承知の上。

原作は伊藤計劃の小説。伊藤計劃の小説を劇場アニメ化する「Project Itoh」でアニメ映画になった三作品の一つ。
テレビCMで見て、いつか見たいと思っていました。
三作品に繋がりはないので、どれから見ても大丈夫だったんですが、u-nextの説明にあった○作目と書いてある順に見ました。

最初に全体の感想を書いてしまいますが、正直よくわからなかったです。
ストーリーはたぶんこういうことなのかなと推測したけど、これはどうしてこうなってるのっていう、よくわからない部分がたくさんあって、「なんでそうなったのかよくわからない」ばっかりでした。

 

wikipediaで小説のストーリーをみると、だいぶ違ってました。
なんでこんなに変えたの?っていうくらい結構違ってて、この映画は小説を元にした別物なんじゃないかなと思います。
見終わった率直な感想でいうと、原作をいろいろ変えちゃって失敗しちゃったパターンのやつかなと思いました。

19世紀が舞台ですが、現実の19世紀の文化とか雰囲気+SF要素の別世界。
死者を動かす技術が確立され、戦力や労働力として死者が使われている世界。
死者は動いて言葉を理解はするけど話せないし意識を持ってなくて死んだ目をしています。

まずこの死者の動き方に違和感を感じました。
わかりやすく、生きてる人と違うよっていう動きにしたのかなーって感じがします。
死体が人形っぽく動くんです。ちゃんとうまく体を動かせない風に。
でも、人形がそういう動きになるのは、人間のように細かく動かせるような仕組みが入ってないから、人間のように精巧に作れないからであって、死体は人間そのものなんだから体を動かす仕組みは入ってるわけです。それを細かく制御できない、動きが遅い、ならわかるけど(一般的なゾンビみたいな感じの)、ああいう感じの、首から上は半分くらい力が入らないみたいなダランとしちゃってて、体は体の芯だけが前に行って頭や腕はダランとして力が入ってないみたいな歩き方をするのって、逆に大変じゃないの?って思う。
それに死体はワインをグラスに注ぐとかできるんですよ。それってロボットにやらせるとしたら結構な繊細な制御が必要な作業じゃないかと思うんです。それができるならもっと普通に歩けるでしょ!
あと目を見開いてるんですが、まばたきまでは普通アニメで描かれないから、まばたきしてるのかもしれないけど、まばたきしてない風に見えて、見開いてまばたきしてなかったら目が乾くよ、と思った。
あと、目は対象物を見ていない感じなんだけど、目で見て判断しないと字を書くとか障害物を避けるとか細かい手先の作業とか無理だと思うので、全くそっぽ向いてるわけじゃないけど、人間の目でぼんやり全体を見てるだけで何かできるものなんだろうか?と思いました。

ただただ、生きてる人と違う感を出したいだけの、ビジュアル的に面白いとかいうだけの、科学的にそういう歩き方になる根拠がない動きっていう気がしてならず、とても違和感を感じたし、そういう見せ方をするのは嫌だなーと思いました。
私はただ見た目だけで世界観にちゃんとした理由がなく作られてる設定って嫌いです。

物語は主人公のワトソンが死者を動かすようにする施術をするところから始まります。
成功しますが、ワトソンは個人でやってはいけないことをやっちゃっていたようで、政府機関の人達がすぐに乗り込んできて、ワトソンの才能は惜しいから、罪に問わない代わりに自分たちの仕事をしろという取引をします。

 

ワトソンが施術していた死者は一緒に死者を動かす研究をしていた彼の友人でした。
友人は病気か何かで若くして亡くなってしまい、彼の理論を証明するために、自分の死体を使って実験してくれと頼んでいました。

ワトソンは彼のことをフライデーと呼んでるんですが、フライデーって愛称かなんかだったの?と彼のちゃんとした名前が確か全然出てこなかったのをちょっと不思議に思ってました。
そしたら、wikipediaによるとフライデーの設定が小説では全然違ってて、彼の友人っていう設定はなかったんです。
小説ではワトソンのところに乗り込んできたウォルシンガム機関って組織から派遣された記録係の屍者でした。そしてウォルシンガム機関とは取引したんじゃなく人に紹介されてました。
えーここの冒頭部分、まるっきり違うんじゃんっとビックリ。
だからフライデーの名前がちゃんと出てこなかったんだね。フライデーってたぶん人の名前としてはあんまりない気がしたんだよね。愛称ならありだとしても。

ワトソンとフライデーって強い友情というか、ワトソンはフライデーのことを友人以上に好きなんじゃないかって感じで、この映画では描かれていて、そこはこの映画の中の重要な要素になってると思うので、そこが違ったってのはビックリでした。
小説を読んでないので、最初の設定は違っても小説でもワトソンがフライデーに恋心みたいなのを感じるってのがあるのかどうなのかわかりませんが。

そしてワトソンのフライデーに対する態度が命令口調で、大切な友人に対する態度に見えないし、かと思えば、フライデーを連れて行かれそうになって慌てたり、「あなたはフライデーを物として扱ってない」と人に言われるんだけど、「そうか?」って感じがしたし、なんか態度が混在してて、なんなんだって感じがした。
今のフライデーは屍者だから屍者として扱っているけど、いなくなったりするのは困るっていうことなのかなとも思うけど、大切な友人だったらもっと優しく接しないか?って気がしてしまう。

 

そして最初に屍者を作ったヴィクター・フランケンシュタインの残した「ヴィクターの手記」という物にヴィクターの作った屍者の作り方が書いてあって、ヴィクターの作った屍者は、今の屍者と違って意志をもって話もできる屍者だから、それを手に入れてほしい、とワトソンはウォルシンガム機関に依頼されてアフガニスタンに行きます。

そこでウォルシンガム機関のバーナビー、ロシアから派遣されたニコライと一緒に、ワトソン、フライデーの4人で、新型の屍者に襲われたり、ハダリーという女性に助けられたりしながら、ヴィクターの手記を持っていると言われるカラマーゾフのところへ行きます。

ハダリーは何かの機関の偉い人の秘書をやってる女性なんですが、戦闘力も高いみたいで、大量の屍者に襲われた彼らを助けてくれたんですけど、その偉い人とハダリーがなぜ助けてくれたのかっていうのがよくわかりませんでした。

カラマーゾフのところに着くと、どうやらニコライとカラマーゾフは知り合いというか、ニコライはカラマーゾフを確保できればいいと言ってたけど、実はニコライはカラマーゾフの仲間で、ワトソンをカラマーゾフの所に連れてくるのが本当の目的だった、みたいでした。
じゃあ、あの途中の屍者はカラマーゾフの屍者だと思ってたけど、違くてロシアの屍者が邪魔してきてたってこと?で、ニコライとカラマーゾフにはロシアから暗殺命令が出ていたとバーナビーが言ってたので、それでロシアが襲ってきてたってことなのか?

そしてワトソンは「ヴィクターの手記をなぜ手に入れたいのか」ってことを何度も聞かれるんだけど、ここもなんかワトソンの答え方に違和感を感じました。
「必ず手記を手に入れる」って、手記を持ってる人に対して、そんな言い方する?
この時別に敵対しているわけじゃなく、それでも手に入れたいのか、みたいな決意を聞かれたんだけど、なんかちょっと言い方が変な気がしました。

 

そしてこの後、ニコライにヴィクターの手記にあった新型屍者の施術をして、生きてるのに屍者にしてしまいます。そしてカラマーゾフも新型屍者になります。
ここがなんでなのかよくわかんなかったー。
後で、ニコライにもカラマーゾフにもロシアから暗殺命令が出ていたってわかるけど、暗殺命令が出てたからもうどうせ助からないからってことなの?だからヴィクターの手記にある屍者の技術は残酷なものだってワトソンにわからせるためにやったの?
それにしてはなんかどうなの?ほんとにロシアから助からないの?なんで二人とも生を諦めちゃうの?
ワトソンにヴィクターの手記は今日本にある、ヴィクターの手記を破棄してくれって頼むんですが、ワトソンにヴィクターの手記の酷さを伝えるために命をかけたの?
それくらいだったら自分たちで破棄したらよかったじゃん。
そして自分たちで破棄しに行けばいいじゃん。
っていうなんかいまいち納得がいかない。
それとヴィクターの手記は偶然、ニコライとカラマーゾフが北極で見つけたんだって出てくるんだけど、なぜ北極?とちょっと思ったけど、その辺りの説明は全く無し。それほど重要じゃないっちゃないけど、それにしてはヴィクターはヨーロッパの人だと思うのに北極でっていうのは唐突じゃないか?となんとなく思ってたけど、wikipediaによると小説ではザ・ワンが北極で自殺を図ったからなんだね。

 

小説の設定を利用しつつ、いろいろ設定や話を作り変えてて、でもちゃんと消化しきれてないから、なんか中途半端に小説の設定とかが出てきて、唐突な感じがするんだよね。
後に出てくるハダリーが「お父様」と呼ぶトーマス・エジソンが何なのかもよくわかんないし。「お父様」ってほんとの父親なのか何なのか。wikipediaを見るとハダリーを作った人なんだけど、映画ではちゃんとそういう話はでてきてなかったと思う。
ばっさり切られて出てこない人もいるけど、最後のシャーロック・ホームズだっていらなかったと思うよ。あれだけでてきても、なぜこうなった?ってのが全然わかんないもん。
エンドロールの後に出てくるから、声優さんのリストにシャーロック・ホームズがあって、「あれ?出てきてた?気付かなかったな」と思ってたら、最後に出てきた。

それに、屍者の技術って、死人を活用できるからいいってものでしょ。
それを生きてる人にやっちゃって意味あるの?
話したりできなくて、生者の劣化版って感じなのに、生者を屍者にするところに何の意味が?
今の屍者よりは性能アップするんだとしても、生者を使ったらそもそもの意味ないよね。家族を兵士に取られて死なせることがなくなったりしたのがよかったんだよね。本末転倒だよね。
それとも生者の意志を奪って、思い通りに動かせる奴隷って意味でいいってことなの?
生者を屍者にしちゃうのって、なんかものすごーく「???ハテナ」になっちゃったんですが。

 

その後、日本に行って、ヴィクターの手記を見つけるけど、ワトソンはもったいなくて手記を破棄できず、バーナビーと日本のエージェントみたいな人が屍者とがんばって戦ってる中、フライデーを使って手記を解析しようとします。
ここもよくわかんなかったんだけど、解析したものがフライデーに入ってて、それでフライデーがなんか凶暴になっちゃったんだけど、そこはどういう仕組というか理由でフライデーが凶暴になったのかってのが全然わからなかった。
手記をフライデーを使って解析したんだとして(フライデーを解析に使うってのもよくわからないんだけど、屍者ってコンピュータみたいな使い方できるの?)、手記の解析=新しい擬似魂をフライデーにいれたことになるわけ?
「解析データ」って手記に書いてあったことが、文章としてわかるってことじゃないの?
新型の疑似魂なんだとしても、それでなぜフライデーが凶暴に?
意思を持つ=殺意なの?

とか、いろいろ意味不明。
そしてヴィクターの手記っていうのが、形は本だけど、硬いパンチカードみたいな物だったのもちょっと驚き。それがしまってあった所から出てくる仕組みも、それだけのためにできてるみたいな感じで、これもビジュアル的にすごい感じにしてるだけっぽいなと思いました。

 

この後、ヴィクターは薬で眠らされてる時以外は、襲おうとしてくるようになっちゃいます。
で、途中省略しますが、バーナビー、ハダリーが敵と戦い、ワトソン、フライデーを先に行かせた時の、水路みたいなところで、ワトソンはフライデーに襲われちゃいますが、ワトソンがフライデーに友人として語りかけると、ちょっと人間ぽい目になったりして、死ぬ前にフライデーが、魂をみつけたら合図すると言っていたペンの合図をワトソンにしてきます。
が、合図して凶暴さがなくなって元に戻ったとか、人間ぽくなったということにはならず、一瞬そうなっただけでまたすぐ凶暴になっちゃって、結局薬を打って眠らせます。
ここら辺も、結局なんだったのか、よくわかりません。

この後、フライデーにワトソンが何か施術して、凶暴になる前の状態に戻ったっぽいけど、それも何をしたのか、なぜ戻ったのか、わからないです。

ヴィクターの手記は、ヴィクターが最初に作った屍者のザ・ワンが持って行っちゃったんだけど、「そのせいで」、ザ・ワンが何かやって街が混乱して死傷者がたくさんでて、ワトソンがさっさと破棄しなかったからだってバーナビーに責められるんだけど、ここもいまいちピンとこなかった。
街の混乱もヴィクターの手記のせいなの?あれってそんないろんな力があるの?みたいな、なぜそれがヴィクターの手記のせいなのかよくわからず。

ザ・ワンは彼の花嫁(になる予定だった人?)の魂を探していたらしい。
そのためにいろんなとこに行って、手記で機械を動かして街を混乱に陥れて、みたいなことをしていたような感じ。
その後、ザ・ワンがウォルシンガム機関に捕まるんだけど、花嫁の魂はそこにあったらしい。
ウォルシンガム機関の偉い人のMが、人類が生き残るためとかなんとかいって、人間を屍者化しようとする。そのためにザ・ワンと手記が必要だった模様。
Mの言う「人類のために人間を屍者にする」っていうのも意味不明。

 

が、ワトソン達がやってきて、失敗。Mは死亡して、ザ・ワンが機械の操作を乗っ取って、フライデーに自分の魂を、ハダリーに花嫁の魂を入れようとする。
フライデーの体でザ・ワンが話をしだして成功したかに思えたところで、ずっと屍者と?戦ってたバーナビーが屍者を機械になげて爆発みたいなことになって、ザ・ワンが元の体に戻ってしまう。
ここも「ええ!?何それ?」だった。
ザ・ワンがやろうとしてたことを止めるために、機械を壊したなら、そこで中断して中途半端になるとかじゃないの?もうフライデーの体で話をするくらいに移ってたのが戻る?戻るってことはそういう機能が動いてないとできないと思うので、壊れてないってことになるんじゃないの?
機械にぶつけて刺激を与えて都合よく逆流したの?

そしてまた手記が宙を舞って、見た目重視の「機能的にそれってどうなの?」という演出。

ザ・ワンの花嫁についても何も説明無し。花嫁っていうからザ・ワンが好きだった人か、恋人だったか奥さんだったかなのかな?と勝手に推測するしかない。
なんでウォルシンガム機関にあった何かに花嫁の魂が入ってたのかとかその辺りの経緯も全く不明。
ザ・ワンがなんでフライデーの体に移ろうとしたのかもよくわからない。美形だから?

 

ザ・ワンがやろうとしたのは他の器(屍者と機械人間)に魂を移すってことで、これがヴィクターの手記に書いてあったことなのかな?ニコライとカラマーゾフは生者に疑似魂を移してたけど、彼らはそういうやり方をしただけで、ヴィクターの手記に書いてあるのは「魂を他の器に移す」方法ってことだったのか?それを思うと余計に彼らがしたことが意味なく思えて、かわいそすぎるんだけど。
まあそもそも生者を屍者化する意味が・・・。

ザ・ワンはワトソンに棒を突き刺されてやられる。ザ・ワンが死んだのかはよくわからない。
この時、ちゃんと意識のある表情をしたフライデーがワトソンを助けるんだけど、爆発みたいなのになった後、ワトソンが気付いて見るとフライデーはまた屍者の表情に戻ってる。
この時のフライデーは何だったんだ?

そしてフライデーとワトソンは何かワトソンの首の後ろに刺して屍者の施術みたいなのをやる。
これが何だったのかはエンドロールが終わってからフライデーの独白で語られる。

「彼は手記を自らの頭の中に封印し異なる言葉の地平へ去った
 あの旅の日々の記憶は失われた」

ということで、ワトソンも結局、手記を壊して破棄することはできなかったってことなのか、解析したデータを頭の中に入れたってことなのかな。でも、ワトソンは普通の人間だよね、頭の中に直接データとか入れられるの?

 

そして屍者っぽい施術と「異なる言葉の地平へ去った」っていうことからワトソンも屍者になっちゃったのかなと思ったんだけど、最後、普通に話して動いてる姿が出てくるので、「異なる言葉の地平への去った」ってのはどういう意味だったのかがわからない。

最後、ワトソンはホームズと一緒に何かやってて(シャーロック・ホームズの小説の通りの関係なら探偵の手伝いをしている)、その様子をフライデーが望遠鏡で観察しているだけで、ワトソンとフライデーが一緒にいないのは、「あの旅の日々の記憶は失われた」っていうのがワトソンが記憶を失くしてしまったってことを意味するからなの?だからフライデーのこと忘れちゃったの?
それとも手記を追っての旅のことだけ忘れたの?

何にしても最後のワトソンがフライデーと一緒にいないのはなぜなのか全くわからない。
フライデーは屍者っぽくなく普通の人間っぽく動いてるようなんだけど、ワトソンはフライデーに「もう一度君に逢いたかった」って言ってたんだから、普通に人間ぽくなったんならフライデーと一緒にいるんじゃないの?って思うのになぜ?
ワトソンがフライデーのことを全く忘れたんだとして、フライデーの方がワトソンと一緒にいようとしないのはなぜ?

最後まで、「なぜ?わからない」ばっかりでした。

 

wikipediaに書いてあったのが小説のストーリーなんだとしたら、ワトソンとフライデーの最初の関係は全く違うものでした。
そこを「君にもう一度逢いたい」という言葉が示すように、ワトソンがフライデーに強い友情かそれ以上の愛情を持っていたというのを主軸にして描こうとしたんじゃないかと思うんです。
そういうのはすごく好きなので、そこはいいんです。
でも、それをうまくちゃんと描けてなかったなと思います。

ワトソンが屍者のフライデーに対する態度が命令口調で全然優しさとか愛しさとか感じられなくて、常にじゃなくても、もっとフライデーを友人としてでも、大切な友人に対する態度を時折でもとってほしかった。そうじゃないとわかりにくい。全然大切にしてなかったよ。

フライデーが普通に人間みたいな感じを出すのが所々あったけど、それがどういうことなのか、本当はフライデーの人間の時の意識があるんだけど、うまく表に出せないだけなのか、なんなのか、そこをもっとわかりやすく、どういうつもりでちょこっと人間ぽい感じを出してるのかをわかるように描いてほしかった。

 

フライデーが生きていた頃のような意識をもって動いて話をするようになってほしい、というのがワトソンの願いであり、この物語での行動の目的だったんだろうと思うけど、それは一体どういうことなのかっていうのがよくわからなかった。魂という言葉がでてきてたけど、それがどういうことを意味するのか、わかりにくい。
フライデーが証明しようとしてたことが何なのか。
死んだ時に何グラムか体重が減って、それが魂の重さだって言ってて、フライデーが魂をみつけたら?ペンでワトソンの鼻をたたく合図をするって言ってたのは、一旦死んだ後に「魂が戻ってくる」ってことを意味してるの?それが証明したいことなの?
それとも魂がずっと屍体の中にもいるってことを証明したいの?
それとも屍体に意識が生じて、新たな魂みたいなのが生まれるってことを証明したいの?
(それだと約束の合図はわからないはずだから違うか)

ワトソンが望んでいるのは、生きていた時のフライデーの魂が戻ってくることなの?
それとも新しい意識でも何でもいいからフライデーの体で人間みたいに動いて話をするようになってくれればいいの?

 

ハダリーが最後にワトソンに、私に魂があるならフライデーにもある、諦めないでっていうけど、その「ある」は今既にフライデーの中にあって、表にでてきてないだけってことなの?
それとハダリーは機械人間で、最初から作られた存在なので、フライデーは生きていた人間だから、全然違うと思うんです。ハダリーに魂があるとしたらそれは全く新しく生まれたもので、フライデーの場合は、元々の人間のフライデーの魂か、もしくは新たに生まれたものか、になるんだから。

なんかそこら辺の魂の扱いが、説明がちゃんとなくてよくわからない。
だってさ、屍体に魂がずっとあるんだったら、じゃあ死ぬってなんなの?ってことになるでしょ。
死んだ人を屍体にしたら動くようになる=魂があるんだったら、屍体にするってことは生き返らせるってことになる。
そもそも、屍体は抜けた魂の代わりの疑似魂を入れることでできるってことになってるけど、魂が入れば生き返るの?それだと「魂が抜けたから死んだ」ってことみたいだけど、肉体自体の病気での損傷とか不具合はどうなるの?魂さえ戻ってくれば、病気で死んでも生き返るの?
病気だった体は?一旦死んで屍体になったら体の不具合はどうでもいいの?
だってそもそも普通は体の損傷や不具合で体を動かせなくなるから死ぬんでしょ。

というのと、そもそもの屍体の時の体を動かすエネルギーってどうなってるのかなって思ってました。屍体は食事とか排泄とかしないのか?内臓は機能しているのか?そういうの必要なくなっちゃって、疑似魂いれたら体を動かせてエネルギーもいらないなら、それって疑似魂っていうか、何か別の魔法みたいなものじゃないの?

 

「君にもう一度逢いたい」なら、なんでワトソンが別の人と一緒にいるところで終わるの?
ワトソンが記憶を失くして、ワトソンとフライデーの再会はまだこれから、今は途中なんだとしたら、ワトソンとフライデーが一緒にいて、でもまだちゃんと再会できてないよって感じの終わり方なんじゃないの?
ワトソンは別の人と楽しい新しい生活をしていて、フライデーはそれを遠くから眺めてるって、なんだそれって感じなんだけど。

それと何度もフライデーのうなじにプラグを突き刺すけど、受け口があるわけでもなく、生身の部分に毎回ぶっ刺します。それって酷い傷になるんじゃないの?そして屍者の傷は治るの?毎回傷なくなってるけど・・・。

結局、何もかもが、なんだそれ、な感じでした。
「君にもう一度逢いたい」な内容だったらよかったのに。

疑問点をつらつらと書いてたら、疑問点だらけなので長々となってしまった・・・。


3作を全部見て全部に言えることなんですが、いつか、小説の方を読んでみようと思います。

屍者の帝国 (河出文庫)

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 コミカライズもされてるみたいです。
試し読みした感じでは、映画版の方のストーリーだけど映画よりわかりやすく描かれている気がします。

コミックの試し読みはコチラ 1〜3巻